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2011年9月16日金曜日

平川祐樹展~微かな予兆~Slight signs of something

「世界を奏でる『音』の断片」

「Youki Hirakawa/Slight Signs of Something,2011,Installation View」

展示室内。照明を落とした暗い空間の中、四方の壁面に掛けられた複数のモニタから流れる映像と、音。それらが短いタームで繰り返されている。

カサカサと音を立てて風に揺れるビニールのテクスチャ。水面に滴を落とし降り続く雨の波紋。夜、ただ何かを掘り続ける男のシルエット。そして青白い光の中、浮かび上がる誰かの手・・・。どこかで見たことのあるような、それでいて見知らぬような。ある風景の全体というよりは、その中の一部分を拡大して捉えたものが多いという印象だ。

薄闇の中に茫としてただ在る、イメージの連なり。それらは一見すると何の繋がりも無い時間・空間上に位置している。しかし映像の質感が一定のトーンで統一されており、各々が響き合ってひとつの音楽を奏でる譜面のようにも、自分には感じられた。
主題の無い旋律、見えないその姿を予感させる広がりを、心のざわめきが微かに捉えている。

平川は近年、自身の作品で、現代社会に特徴的な「断片化された物語」が持つ「予兆/残余」のみを抽出し、それだけで構成された世界が持つある種の「現実感」を、現前化させようと試みているという。
身体的な体験を通さない情報に日々さらされる現代の私たちにとって、「現実」とは一体なんなのだろう。まるで漂白されたかのような透明感を持つ個々のイメージを見るうち、その外、空白の部分をみつめるもうひとつの視線が、自身の内に同時に立ち上がってくるような感覚を覚え、はっとする。
断片のみで構成された―ということは、中心が提示されない、ということでもある。そこは空白となりそれとして存在する。であるならば、ここを埋めようとする意識が、個々人の内に芽生えるのではないだろうか。それはおそらく他でもない、対峙した人間それぞれが身体を通して経験してきた個々人だけの「現実」であるはずだ。

物語無き物語に、私たちは自身の生きる世界を紡ぎ出す。作品を通して、自分自身の内なるスクリーンに映るものと、静かに向き合ってみたくなった。


STANDING PINE-cube http://jp.standingpine.jp/
平川祐樹 オフィシャルサイト http://www.youkihirakawa.jp

各務文歌 現代美術に興味をもって勉強中。専門は考古学