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2008年12月15日月曜日

Who is Inside?―杉山健司+浅田泰子

名古屋市市政資料館 第1~5展示室 2008年9月26日~10月12日
text: 田中由紀子

包装紙や紙袋の切れ端などにささやかな身の回りの事物を描く浅田泰子と、Institute of Intimate Museum(「親密な美術館」の意)という架空の美術館を展開しながら、見る・見られるという関係性や見ている対象と見えている事象のズレを視覚化して きた杉山健司による二人展。


展覧会の導入となるのは、浅田による架空の旅の物語。まったくのフィクションかと思いきや、手書きの原稿の周囲には、彼女が旅行の途中で手に入れた物の写真や切符などが展示されており、事実とつながっているところが彼女らしい。

隣の展示室には、台に置かれた人の頭部を模したオブジェから放射状に赤い糸が張り巡らされ、そこに無数の紙の小片が吊り下げられていた。オブジェには紙バッ グでつくられたマスクが被され、後頭部には楕円形の穴が2つ開けられている。覗き込むと、鏡の前に立つ女性をかたどった小さな人形が目に飛び込んできた。 しかし、鏡に映るのはありのままの彼女ではなく、スリムになり着飾った彼女。さらに驚いたのは、その様子が逆さまに表わされており、中にはめ込まれた鏡に よりそれが反転されていたことだ。鏡の前の実像と鏡に映る虚像、逆さまな実像と正しい向きの虚像は、私たちに見えている事象が対象そのものではなく、願望 や思い込みにより歪められていることを示唆していた。

一方、空間に張らされた糸にぶら下がっていたのは、買った品物が描かれたレシートや旅行の思 い出が描かれた観光名所のポストカード。空間に広がる糸はマスクの奥から投げかけられる視線のようであり、そこに小さな絵が連綿と連なるさまは、私たちが さまざまな対象を見て、その積み重ねが脳内にイメージを描きだすという双方向の作用を想起させた。

同様の展示が3つの部屋で行われていたが、浅 田、飼い犬、小学生の息子から見た世界がそれぞれに展開されていた。こうした構成に加えてマスクとその内部の制作を杉山が担当し、浅田はそれを受けてレシートやポストカードの作品をつくったという。現実の生活に根ざした制作を続ける浅田と、現実と虚構が綯い交ぜになった世界をつくり上げる杉山のコラボ レーションは、互いの作風を生かすことにより、現実世界と脳内イメージのズレを重層的に表現できた点で成功していた。

2008年9月15日月曜日

吉本作次展

吉本作次展
ケンジタキギャラリー 2008年9月6日~10月4日
Text: 田中由紀子

名古屋市民芸術祭2006・美術部門企画展「next station―次の美術駅へ」での展示から、ちょうど2年ぶりとなる吉本作次の個展。

会場1階に展示されたのは、いかにも彼らしいベージュを基調とした油彩の作品群。まずは、画面のほぼ中央に描かれた漫画風の人物が織りなす出来事に「く すっ」とさせられる。しかし、見る者の視線はそこに留まることなく、その周囲に描かれた樹木や崖、雲や煙に引きこまれていく。

木々の茂みや断崖を形づくる小刻みに曲がりくねった線や、雲や煙を構成する大胆にうねる線。それらを目でたどるように見ていると次第に幻惑され、バロック様式の彫刻の衣の襞を見入るうちに、視線が襞の奥へと吸い込まれていくのに似た感覚を覚えた。

曲 線に加え、多視点的な画面構成も吉本作品を特徴づける要素といえる。たとえば、透視図法で描かれているようにも見える《田園の宴会》(2008年)は、中 央下の人物と左右の木々、遠くの田園が、それぞれ別の視点から描かれている。多視点で構成された画面に違和感を覚えそうだが、ふだん私たちは固定された視 線で対象を見ているわけではなく、目を動かしてさまざまな角度から見ている。したがって、多視点で捉えられた風景に、その風景と実際に向かい合っているよ うなリアリティが感じられる。

こうした曲線をたどる目の動きや多視点的な表現をとおして、吉本は見る者に身体的に画面の奥行きを感じさせようとしているのではないだろうか。

一方、2階には荒々しいストロークを駆使した作品群が並べられた。うねるような曲線が繰り返される点は共通しているが、1階の作品群が細くて硬い選び抜か れた線で描かれているのに対し、こちらは太く即興性のある線で描かれている。それらの線を目で追うと作家の大胆な手の

これらが1階の作品群と同時期に制作されたというのは意外だったが、これまでの評価に満足し得ない吉本の旺盛な意欲が感じられる内容となっていた。

2008年6月15日日曜日

木藤純子展「Vostok」



木藤純子展「Vostok」
ギャラリーキャプション 2008年3月4日~4月12日
text:田中由紀子

展 覧会DMに印刷されていた銀色の物体。鉱物の結晶や化石を想起させるが決定打に欠け、しばらく気にかかっていた。それが南極大陸の衛星写真とわかったの は、会場の入口だった。パソコン画面に、インターネットで今まさに配信されているヴォストーク湖についての情報とDMの画像が示されていたのだ。鉱物や化 石かと思いきや、衛星が捉えた南極大陸であったのには驚いた。

会場は2作品で構成。《Room2》は手前の小部屋を使ったインスタレーションで、中央に据えられた白い柱の一部が透明ケースになっており、細い木の根が収められている。闇の中にくっきりと浮かび上がるそれは、ホルマリン漬けにされた標本を思わせた。
突然、ケース内の照明が消えた。しばらくして視線を落とすと、床には葉が生い茂る枝の青白いシルエットが柱から放射状に広がり、予想し得なかった展開に意表を突かれた。まるで空間そのものが水中であり、水面上にあるだろう細木の枝や葉が水底に影を落としているかのようだ。

一方、《Room1》が展示された奥の部屋には、何本もの細木の幹や枝が床や壁から伸びており、その縦横無尽なさまは人間の侵入をどこか拒んでいるようにも思えた。《Room2》が湖底ならば、こちらは氷上の世界というべきか。

ヴォ ストーク湖の氷床下には液体の水があり、湖が50~100万年にわたり氷に封印されていたことが近年わかってきたが、湖水汚染防止の観点から、調査のため の掘削は停止されたままだという。水中には他に類を見ない生態系が存在する可能性が高いものの、私たちはそれを想像するしかない。

こうした情報も 例外ではないが、私たちはインターネットですぐさま情報を取り出すことができる。しかしそれに慣れすぎてしまい、実際に目にしたり触れたりした経験がない ままに、すべてを把握したつもりになってはいないだろうか。見えないものを見せることをテーマとする木藤が、今回、インターネットによる情報を提示したの は、知識があっても何もわかっていないことを感じてほしかったからだという。

この世界をつくり上げているのは、目に見える事象ばかりではなく、私 たちは世界のほんの一部を把握しているにすぎない。そう考えると、生きることは薄闇の中を歩んでいくようなものかもしれない。そのとき、見えるものから見 えないものを想像する力は、私たちが一歩を踏み出す支えとなるだろう。

写真:
"Vostok" | ギャラリーキャプションのためのインスタレーション
《Room2》 タイマー制御によるライティングと立体作品およびペインティングによるインスタレーション
植物の根、床に蓄光塗料によるペインティング、他 2008年  撮影: 大須賀信一