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2010年9月16日木曜日

櫻井里恵展 眠りにつくまえの夢 vol.Ⅴ “tenderly a lie”

ガレリアフィナルテ 2010年7月26日〜31日
TEXT:岡地史

 「tenderly a lie」と題された部屋を訪れたとき、最初にひとつの鏡が出迎える。その奥には、無数の糸が垂れ落ち、床には見慣れた家具が置かれ、さらに上からバナナとイスが吊るされているという混沌とした世界が広がる。

 この部屋はわたしたちが生まれてから成長するにつれ獲得していく「世界」の縮図のようである。精神分析家ジャック・ラカン(1901-81)が述べている「鏡像段階」は、わたしたちが幼少のころ鏡に映った自分の姿を見て初めて、バラバラだったセルフイメージが統一され自分という意識を持つことができるというものだが、この部屋で体験することもまず鏡と向き合うことである。そうして始まる世界は、そのスタートから「≠現実」である。鏡の世界はあくまで虚像でしかなく、わたしたちは永遠に真の自分の姿を見ることができない。同じように、わたしたちが日常的にとらえる現実は、「イメージ」や「言葉」を通じてしか触れることのできない虚構的現実に過ぎない。そんな現実の虚ろさを表しているかのようなこの部屋の入り口から、バナナとイスの向き合う世界を目撃する。困難な世界が始まろうとしている予感とともに、それを知りたい欲望にかられ足を踏み入れていくのは、子どもが大人になっていく段階と重なる。

 そして大人になったわたしたちが出会うのは、やはり困難に満ちた世界なのだろう。「イメージ」が象徴するもの自体に触れることは叶わず、「言葉」は口から出た途端伝えたい意味から離れていく。この部屋においても、無数の糸によってものの姿は見えづらく、また自分の姿も同じように霞んでいるのだろう。そのようにしてわたしたちは周りと繋がることを欲しながらも、それができないという挫折を繰り返す。

 このようなわたしたちをとりまく現代社会のもどかしさを櫻井氏は「今はただ受け入れることしかできない」という。しかしそのようにして引き受けられた世界で感じるのは、絶望ではなくかすかな希望であった。さまざまな困難が糸という脆く美しいものとして存在する空間は、イメージや言葉を超えた美しさで満たされている。その部屋をあとにして、またいつもの世界に身を置くなかで、戸惑いや無念さを感じることもきっとあるだろう。しかし、そこで得た美しい記憶によって、わたしは自分がここにいることをこの先も肯定していけるような気がした。


岡地史 1984年愛知県生まれ。つくる人と見る人とをつなぐ企画をしています。