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2009年9月15日火曜日

尹熙倉展―はざかい


ギャラリーキャプション 9月5日~10月10日
TEXT:田中由紀子

水色がかった、あるいはうっすらとした黄緑色やピンク色の線で描かれた《何か》。どこかたどたどしい印象があるのは、絵具や顔料ではなく、陶粉を膠で溶いて描くという不自由さにも関係している。具体的な事象が再現されているわけではないが、紙の上に線が置かれることにより、何か気配のようなものが立ち上がり、何も描かれていない余白を際立たせる。照明を使わず、窓から差し込む自然光に照らされた作品は、時間とともに表情を刻々と変化させ、木立のようにも雨だれのようにも見える風景を浮かび上がらせた。ぼんやりとそれらを眺めていた私は、ギャラリーで覚える一種の緊張感から解き放たれ、居心地のよさを感じていた。

尹熙倉は、《そこに在るもの》と題された矩形の陶の立体作品を発表し続けている。10年程前から、陶粉で描くこうした絵画も手がけているが、5年ぶりの個展となる今展では、写真作品も併せて発表された。

撮影されているのは、木の枝の先端や砂地に映る植物の影。日々成長する枝の先と空との境界はあいまいで、砂地の影もぼんやりとしている。それらは一見、尹のこれまでの作品とは結びつかないように思われがちだが、彼がテーマとする「在ること」と「無いこと」の概念を写真という媒体で補完しているといっていい。なぜなら、「『そこに在るもの』とは、作品として確かにそこにありながら、時に応じて、在ることと、無いことをしなやかに行き来すること。観る人の時々の意識に応じて、語りかけ、あるいは黙すること。そのために空間と同化し、且つ異物として在ること。を目指すものである」(注1)という作家の言葉どおり、写真に捉えられていたのは「在ること」と「無いこと」とのあわいだからだ。

同時代に生きる作家の問題意識や世界観と向き合えるのがアートを見る楽しみのひとつだが、見る側にも緊張感が求められるのは否めない。美術館やギャラリーならそれでいいが、居住空間に取り入れるならリラックスして見られるものがいい。あることが気にならないのに、目を向けた時にはそれに応えて何かを感じさせてくれる、そんな見る人に寄り添い呼応する作品が、いま求められているのではないだろうか。会場の本棚に、気づかない人もいると思えるほどさりげなく置かれていた、陶の立体《そこに在るもの》を見て、あらためてそう思った。

(注1)尹熙倉「『やる気のない庭』をめぐって」多摩美術大学研究紀要 第23号2008年30ページ