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2012年3月16日金曜日

トザキケイコ展「それは満ちてくる うつろな光」


ハートフィールドギャラリー
2012110日~22
TEXT:田中由紀子

花明りの小道石・枯草・米・陶・蜜ろう・アンティークガラス、2011年
展覧会ごとにギャラリーの雰囲気が変わるのは当然といえば当然だが、今回は少々意外だった。というのは、このギャラリーには大きな窓があるため、そこから入る自然光や窓の外の空間を活かした展示が多いのだが、今回は窓がすべて塞がれていたのだ。自然光を遮断したほの暗い空間に、小ぶりのガラスビンやシャーレが照度を落としたスポットライトに照らされて浮かび上がるさまに、私はヨーロッパの古い教会の中に足を踏み入れたかのような錯覚に陥った。それは、窓の位置に背を向けるようにして年代物の戸棚が置かれていたこととも無関係ではない。塞がれた窓の隙間からわずかに漏れる外光の効果によって、戸棚が微かな光に包まれて祭壇のように見えたのだ。
ガラスビンの中には、蜜ろうや赤米、拾い集められた流木や小石、陶製の人物や動物の立体により、物語の一場面のような世界が構成されていた。ビンの底に敷かれた飴色の蜜ろうは、夥しい時間の経過を物語るかのようであり、原始社会に生きていた神や人間、動物を封じ込めた標本のように思えた。一方、古びた板に取り付けられたペンダントトップ大の陶の立体は発掘された化石を、反対側の壁に展示された陶の動物は埋葬品のはにわを彷彿させた。
会場のそこかしこに、トザキケイコが得意とする小さな愛らしい作品が点在しているにもかかわらず、いつもとは違う。作品から想起する標本、化石、はにわといった事物がどれも死とつながっているからだ。冒頭で述べた、祭壇や教会を思わせる空間も同様だ。
とはいうものの、トザキの死生観は死への恐怖や不安を感じさせるものではない。むしろ、死から生を浮かび上がらせ、太古から無数に繰り返されてきた生と死の連鎖の中で私たちが生きていることを実感させてくれる。そして、地球の歴史から見たらほんの一瞬であったとしても、この世界に生まれてきたことの祝福を感じないではいられなかった。